私の個人主義 — 《我的个人主义》
作者:夏目漱石 演讲日期:1914年11月25日(学习院辅仁会)
编排:青空文库正文57个自然段,按原顺序逐段完整列出日文与中文新译;46组原文对应的词汇与语法注释,另增历史和思想语境提示。
日文底本:青空文库《私の個人主義》
来源与编者说明
日文原文:夏目漱石《私の個人主義》,青空文库。青空文库所注底本为《ちくま日本文学全集 夏目漱石》(筑摩书房,1992年);其亲本为《夏目漱石全集10》(ちくま文庫,1988年)。原页面署名输入:真先芳秋;校正:かとうかおり;1998年11月19日公开,2008年10月5日修正。
中文译文与学习注释系本材料新编,非既有中译本转录。为学习起见,译文尽量保留演讲者自嘲、反问、让步和论辩的语气;个别地方采用意译以保证中文通顺。
内容路径
从演讲缘起和求职往事,进入英文学研究中“他人本位”的困境,继而提出“自己本位”;然后讨论个人自由与他人自由的对等性、权力的义务、财富的责任,并辨析个人主义、党派主义及国家主义的关系。
一、开场:讲演、意外与《目黑的秋刀鱼》
――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――
第 01 段
私は今日初めてこの学習院というものの中に這入りました。もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違ありませんが、はっきりとは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてでございます。
今天是我第一次踏进学习院。当然,以前我也想过,学习院大概就在这一带,只是并不清楚确切的位置。至于真正走进校园,那无疑还是头一回。
第 02 段
さきほど岡田さんが紹介かたがたちょっとお話になった通りこの春何か講演をというご注文でありましたが、その当時は何か差支があって、――岡田さんの方が当人の私よりよくご記憶と見えてあなたがたにご納得のできるようにただいまご説明がありましたが、とにかくひとまずお断りを致さなければならん事になりました。しかしただお断りを致すのもあまり失礼と存じまして、この次には参りますからという条件をつけ加えておきました。その時念のためこの次はいつごろになりますかと岡田さんに伺いましたら、此年の十月だというお返事であったので、心のうちに春から十月までの日数を大体繰ってみて、それだけの時間があればそのうちにどうにかできるだろうと思ったものですから、よろしゅうございますとはっきりお受合申したのであります。ところが幸か不幸か病気に罹りまして、九月いっぱい床についておりますうちにお約束の十月が参りました。十月にはもう臥せってはおりませんでしたけれども、何しろひょろひょろするので講演はちょっとむずかしかったのです。しかしお約束を忘れてはならないのですから、腹の中では、今に何か云って来られるだろう来られるだろうと思って、内々は怖がっていました。
正如刚才冈田先生在介绍我时顺带提到的,今年春天贵校曾邀我来作一次演讲。只是当时我有事无法脱身——其中缘由,冈田先生似乎记得比我这个当事人还清楚,刚才也已经向各位解释得十分明白了——总之,我当时只得暂且婉拒。不过,单单推辞总觉得太失礼,便加上一句,下次一定前来。我还为慎重起见问冈田先生,下次是什么时候。他答说是今年十月。我在心里大致算了算,从春天到十月还有许多日子,想来总能有所准备,于是明确答应下来。谁知不幸也好,幸运也罢,我后来生了病,整个九月卧床不起,等回过神来,约定的十月已经到了。到了十月我虽不再卧病在床,身子却还是摇摇晃晃,实在难以演讲。可是又不能把约定抛在脑后,因此心里老想着:他们快来催了吧,快来催了吧。暗地里竟颇有些害怕。
第 03 段
そのうちひょろひょろもついに癒ってしまったけれども、こちらからは十月末まで何のご沙汰もなく打ち過ぎました。私は無論病気の事をご通知はしておきませんでしたが、二三の新聞にちょっと出たという話ですから、あるいはその辺の事情を察せられて、誰かが私の代りに講演をやって下さったのだろうと推測して安心し出しました。ところへまた岡田さんがまた突然見えたのであります。岡田さんはわざわざ長靴を穿いて見えたのであります。(もっとも雨の降る日であったからでもありましょうが、)そう云った身拵えで、早稲田の奥まで来て下すって、例の講演は十一月の末まで繰り延ばす事にしたから約束通りやってもらいたいというご口上なのです。私はもう責任を逃れたように考えていたものですから実は少々驚ろきました。しかしまだ一カ月も余裕があるから、その間にどうかなるだろうと思って、よろしゅうございますとまたご返事を致しました。
后来身体终于不再摇摇晃晃了,可一直到十月底,对方都没有传来任何消息。我当然没有专门通知贵校我生病的事,不过听说有两三家报纸提过一笔,便想他们或许知道了情形,已经请别人替我讲了吧。如此推测着,我才渐渐放下心来。没想到冈田先生又突然登门,而且特意穿了长筒靴前来。(当然,那天也正在下雨。)他就这样一路来到早稻田深处我的住处,转告说,原先的演讲改到十一月底,希望我履行约定。我自以为早已卸下这副担子,实在吃了一惊。不过转念一想,毕竟还有一个月的余地,到时总能想出办法,于是又答了一声“好的”。
第 04 段
右の次第で、この春から十月に至るまで、十月末からまた十一月二十五日に至るまでの間に、何か纏ったお話をすべき時間はいくらでも拵えられるのですが、どうも少し気分が悪くって、そんな事を考えるのが面倒でたまらなくなりました。そこでまあ十一月二十五日が来るまでは構うまいという横着な料簡を起して、ずるずるべったりにその日その日を送っていたのです。いよいよと時日が逼った二三日前になって、何か考えなければならないという気が少ししたのですが、やはり考えるのが不愉快なので、とうとう絵を描いて暮らしてしまいました。絵を描くというと何かえらいものが描けるように聞えるかも知れませんが、実は他愛もないものを描いて、それを壁に貼りつけて一人で二日も三日もぼんやり眺めているだけなのです。昨日でしたかある人が来て、この絵は大変面白い――いや面白いと云ったのではありません、面白い気分の時に描いた画らしく見えると云ってくれたのでした。それから私は愉快だから描いたのではない、不愉快だから描いたのだと云って私の心の状態をその男に説明してやりました。世の中には愉快でじっとしていられない結果を画にしたり、書にしたり、または文にしたりする人がある通り、不愉快だから、どうかして好い心持になりたいと思って、筆を執って画なり文章なりを作る人もあります。そうして不思議にもこの二つの心的状態が結果に現われたところを見るとよく一致している場合が起るのです。しかしこれはほんのついでに申し上る事で、話の筋に関係した問題でもありませんから深くは立ち入りません。――何しろ私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっとも組み立てずに暮らしてしまったのです。
事情就是这样。从春天到十月,从十月底到十一月二十五日,我本来有的是时间准备一场像样的演讲。可是身体和心情总不大好,想到这件事便觉得烦得要命。于是生出一种偷懒的念头:反正到了十一月二十五日再说吧。就这样一天拖一天。临近演讲,只剩两三天时,我也略微觉得该认真想点什么了,可思考仍令我不快,结果竟只顾着画画。说“画画”,听起来仿佛我能画出什么高明的作品,其实不过是画些不值一提的东西,贴在墙上,独自呆呆地望上两三天。昨天好像有个人来访,说这幅画真有趣——不,他不是说画有趣,而是说看起来像是人在兴致很好的时候画出来的。我便向他解释自己的心境:我并非因为愉快才画,恰恰是因为不愉快才画。世上有人高兴得坐不住,于是把这份心情化作绘画、书法或文章;也有人因为不愉快,想设法改善自己的心情,才拿起笔来画画写作。奇妙的是,这两种截然不同的心理状态,有时表现出来的作品竟十分相像。不过这只是顺带一提,与正题并无关系,我不再深究。总之,我光顾着看那些古怪的画,始终没有为今天的演讲安排好内容。
第 05 段
そのうちいよいよ二十五日が来たので、否でも応でもここへ顔を出さなければすまない事になりました。それで今朝少し考を纏めてみましたが、準備がどうも不足のようです。とてもご満足の行くようなお話はできかねますから、そのつもりでご辛防を願います。
终于到了二十五日,无论愿意不愿意,都得在这里露面。于是今天早上我试着整理了一下思路,但看来准备得实在不够。恐怕讲不出让各位满意的内容,还请大家多多包涵。
第 06 段
この会はいつごろから始まって今日まで続いているのか存じませんが、そのつどあなたがたがよその人を連れて来て、講演をさせるのは、一般の慣例として毫も不都合でないと私も認めているのですが、また一方から見ると、それほどあなた方の希望するような面白い講演は、いくらどこからどんな人を引張って来ても容易に聞かれるものではなかろうとも思うのです。あなたがたにはただよその人が珍らしく見えるのではありますまいか。
我不知道这个讲演会从何时开始延续至今。各位每次请校外的人来演讲,按一般惯例说,当然毫无不妥。不过换个角度想,即便从四面八方请来各种人物,要听到真正如各位所愿那样有趣的演讲,恐怕也不容易。会不会只是因为校外来客显得新鲜呢?
第 07 段
私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。――昔しあるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。するとその農家の爺さんと婆さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚を炙って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。二人はその秋刀魚を肴に非常に旨く飯を済まして、そこを立出たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香がぷんぷん鼻を衝くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走をする事になりました。その旨を承わって驚ろいたのは家来です。しかし主命ですから反抗する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜で一本一本抜かして、それを味淋か何かに漬けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧な料理方で秋刀魚の味を失った妙な肴を箸で突っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落になっているのですが、私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。
我从落语艺人那里听过一个颇有讽刺意味的故事。说是从前有两位大名到目黑附近放鹰狩猎,东奔西跑了一番,肚子饿得厉害。偏偏没带便当,又与随从走散,无处弄到吃的,只好冲进附近一户脏兮兮的农家,说随便什么都好,快弄点吃的来。农家的老夫妇见他们可怜,就烤了几条现成的秋刀鱼,配上麦饭招待。两位大名吃得十分香甜,离开以后,直到第二天仿佛还有那股秋刀鱼的香气直冲鼻子,怎么也忘不掉那个滋味。于是其中一位便请另一位来做客,专门拿秋刀鱼款待。家臣听见这个吩咐大吃一惊,可主人的命令又不能违抗,只得让厨子用镊子一根根拔去鱼刺,再用味醂之类的调料腌渍,烤得恰到好处,端给主人和客人。不料这回两人本来就不饿,鱼又经过这番过度精细的料理,丧失了原先的味道。即使拿筷子拨弄,也觉得一点不好吃。于是两人面面相觑,说出一句怪话:“看来秋刀鱼还是目黑的最好!”这就是故事的笑点。在我看来,各位身在学习院这样出色的学校,终日接触出色的老师,却愿意从春天等到深秋,只为听我这种人讲一次,恐怕正像吃腻了珍馐美味的大名,偶尔想尝尝目黑的秋刀鱼一样。
第 08 段
この席におられる大森教授は私と同年かまたは前後して大学を出られた方ですが、その大森さんが、かつて私にどうも近頃の生徒は自分の講義をよく聴かないで困る、どうも真面目が足りないで不都合だというような事を云われた事があります。その評はこの学校の生徒についてではなく、どこかの私立学校の生徒についてだったろうと記憶していますが、何しろ私はその時大森さんに対して失礼な事を云いました。
今天在座的大森教授,和我大约同年大学毕业,前后也差不了多久。他以前曾向我抱怨,近来的学生不肯认真听他的课,实在叫人头疼,态度也太不认真,很不像话。我记得,他说的并不是贵校学生,而是某所私立学校的学生。总之,当时我对大森先生说了句颇失礼的话。
第 09 段
ここで繰り返していうのもお恥ずかしい訳ですが、私はその時、君などの講義をありがたがって聴く生徒がどこの国にいるものかと申したのです。もっとも私の主意はその時の大森君には通じていなかったかも知れませんから、この機会を利用して、誤解を防いでおきますが、私どもの書生時代、あなたがたと同年輩、もしくはもう少し大きくなった時代、には、今のあなたがたよりよほど横着で、先生の講義などはほとんど聴いた事がないと云っても好いくらいのものでした。もちろんこれは私や私の周囲のものを本位として述べるのでありますから、圏外にいたものには通用しないかも知れませんけれども、どうも今の私からふり返ってみると、そんな気がどこかでするように思われるのです。現にこの私は上部だけは温順らしく見えながら、けっして講義などに耳を傾ける性質ではありませんでした。始終怠けてのらくらしていました。その記憶をもって、真面目な今の生徒を見ると、どうしても大森君のように、彼らを攻撃する勇気が出て来ないのです。そう云った意味からして、つい大森さんに対してすまない乱暴を申したのであります。今日は大森君に詫まるためにわざわざ出かけた次第ではありませんけれども、ついでだからみんなのいる前で、謝罪しておくのです。
在这里重复一遍也怪难为情的。我当时竟说:“天底下哪有学生会把你那种课当成宝贝,感恩戴德地听呢?”不过,我的本意那时或许没有传达到大森君那里,借此机会不妨澄清一下。我们做学生的时候,也就是和各位同岁或稍大一点的时候,比今天的各位懒散得多,几乎可以说根本没听过什么老师讲课。当然,我这里说的只是自己和身边的同学,未必能代表其他人。不过今天回想起来,仍有这种感觉。就拿我来说,外表看着似乎温顺,骨子里却绝不是认真听课的性子,总是偷懒,混日子。正因为记得自己当年的模样,面对今天这些认真的学生,我无论如何也鼓不起勇气像大森君那样指责他们。正是出于这个意思,才对大森先生说了那番欠妥而冒失的话。今天我并非专程来向大森君赔罪,但既然说到这里,就当着大家的面道个歉吧。
第 10 段
話がついとんだところへ外れてしまいましたから、再び元へ引き返して筋の立つように云いますと、つまりこうなるのです。
话不知不觉扯得太远了。还是回到原处,把道理说得有条理些吧。事情是这样的。
第 11 段
あなたがたは立派な学校に入って、立派な先生から始終指導を受けていらっしゃる、またその方々の専門的もしくは一般的の講義を毎日聞いていらっしゃる。それだのに私みたようなものを、ことさらによそから連れて来て、講演を聴こうとなされるのは、ちょうど先刻お話したお大名が目黒の秋刀魚を賞翫したようなもので、つまりは珍らしいから、一口食ってみようという料簡じゃないかと推察されるのです。実際をいうと、私のようなものよりも、あなたがたが毎日顔を見ていらっしゃる常雇いの先生のお話の方がよほど有益でもあり、かつまた面白かろうとも思われるのです。たとい私にしたところで、もしこの学校の教授にでもなっていたならば、単に新らしい刺戟のないというだけでも、このくらいの人数が集って私の講演をお聴きになる熱心なり好奇心なりは起るまいと考えるのですがどんなものでしょう。
各位进入一所优良的学校,平日不断接受优秀教师的指导,每天听他们讲授专业知识或一般课程。可你们偏要从校外请来我这样的人,听我演讲,这就好比刚才故事里的大名品尝目黑的秋刀鱼,说到底不过因为觉得稀罕,想尝上一口罢了。其实,与其听我这样的人说话,倒不如听你们天天见面的本校老师讲课,恐怕更有益处,也更有趣。即使是我,倘若早已成了这所学校的教授,只因为缺少新鲜刺激这一点,恐怕也不会有这么多人聚集起来,兴致勃勃地听我说话。各位以为如何?
二、从求职到留英:教师生涯与志业困惑
第 12 段
私がなぜそんな仮定をするかというと、この私は現に昔しこの学習院の教師になろうとした事があるのです。もっとも自分で運動した訳でもないのですが、この学校にいた知人が私を推薦してくれたのです。その時分の私は卒業する間際まで何をして衣食の道を講じていいか知らなかったほどの迂濶者でしたが、さていよいよ世間へ出てみると、懐手をして待っていたって、下宿料が入って来る訳でもないので、教育者になれるかなれないかの問題はとにかく、どこかへ潜り込む必要があったので、ついこの知人のいう通りこの学校へ向けて運動を開始した次第であります。その時分私の敵が一人ありました。しかし私の知人は私に向ってしきりに大丈夫らしい事をいうので、私の方でも、もう任命されたような気分になって、先生はどんな着物を着なければならないのかなどと訊いてみたものです。するとその男はモーニングでなくては教場へ出られないと云いますから、私はまだ事のきまらない先に、モーニングを誂らえてしまったのです。そのくせ学習院とはどこにある学校かよく知らなかったのだから、すこぶる変なものです。さていよいよモーニングが出来上ってみると、あに計らんやせっかく頼みにしていた学習院の方は落第と事がきまったのです。そうしてもう一人の男が英語教師の空位を充たす事になりました。その人は何という名でしたか今は忘れてしまいました。別段悔しくも何ともなかったからでしょう。何でも米国帰りの人とか聞いていました。――それで、もしその時にその米国帰りの人が採用されずに、この私がまぐれ当りに学習院の教師になって、しかも今日まで永続していたなら、こうした鄭重なお招きを受けて、高い所からあなたがたにお話をする機会もついに来なかったかも知れますまい。それをこの春から十一月までも待って聴いて下さろうというのは、とりも直さず、私が学習院の教師に落第して、あなたがたから目黒の秋刀魚のように珍らしがられている証拠ではありませんか。
为什么会作这样的假设呢?因为我从前还真的差一点当上学习院的教师。倒不是我亲自谋求这个职位,而是校内有位熟人推荐了我。那时我糊涂到临近毕业,还不知道日后该靠什么养活自己。可是真要步入社会,总不能揣着手坐等房租从天而降。不管能否胜任教育工作,总得先找个容身之处,便听从那位熟人的建议,开始谋求学习院的职位。当时还有一位竞争者。可那位熟人一再对我说,大概稳操胜券,于是我也觉得自己仿佛已经被聘用,还问起当教师应穿什么衣服。他告诉我,必须穿晨礼服才能进教室,我竟在聘任尚未决定时就去订做了一套晨礼服。可是连学习院究竟位于何处也不清楚,实在可笑。等晨礼服做好,谁料原本寄予厚望的职位竟确定与我无缘,空缺由另一位应聘者补上。那个人叫什么,我如今忘记了;大概因为当时也没有怎么懊恼。只听说他是从美国回来的。因此,倘若当年那位留美归国者没有被录用,而我碰巧成了学习院的教师,一直干到今天,那么我恐怕就不会受到这样郑重的邀请,也没有机会站在高处向各位讲话了。你们愿意从春天一直等到十一月听我讲演,岂不恰恰证明:正因为我当年没能在这里任教,如今才像目黑的秋刀鱼一样,让大家感到稀罕吗?
第 13 段
私はこれから学習院を落第してから以後の私について少々申上げようと思います。これは今までお話をして来た順序だからという意味よりも、今日の講演に必要な部分だからと思って聴いていただきたいのです。
接下来,我想稍微谈谈自从没能进入学习院任教之后自己的经历。请各位听一听,并不是因为故事恰好讲到这里,而是因为这些经历正是今天演讲所不可缺少的部分。
第 14 段
私は学習院は落第したが、モーニングだけは着ていました。それよりほかに着るべき洋服は持っていなかったのだから仕方がありません。そのモーニングを着てどこへ行ったと思いますか? その時分は今と違って就職の途は大変楽でした。どちらを向いても相当の口は開いていたように思われるのです。つまりは人が払底なためだったのでしょう。私のようなものでも高等学校と、高等師範からほとんど同時に口がかかりました。私は高等学校へ周旋してくれた先輩に半分承諾を与えながら、高等師範の方へも好い加減な挨拶をしてしまったので、事が変な具合にもつれてしまいました。もともと私が若いから手ぬかりやら、不行届がちで、とうとう自分に祟って来たと思えば仕方がありませんが、弱らせられた事は事実です。私は私の先輩なる高等学校の古参の教授の所へ呼びつけられて、こっちへ来るような事を云いながら、他にも相談をされては、仲に立った私が困ると云って譴責されました。私は年の若い上に、馬鹿の肝癪持ですから、いっそ双方とも断ってしまったら好いだろうと考えて、その手続きをやり始めたのです。するとある日当時の高等学校長、今ではたしか京都の理科大学長をしている久原さんから、ちょっと学校まで来てくれという通知があったので、さっそく出かけてみると、その座に高等師範の校長嘉納治五郎さんと、それに私を周旋してくれた例の先輩がいて、相談はきまった、こっちに遠慮は要らないから高等師範の方へ行ったら好かろうという忠告です。私は行がかり上否だとは云えませんから承諾の旨を答えました。が腹の中では厄介な事になってしまったと思わざるを得なかったのです。というものは今考えるともったいない話ですが、私は高等師範などをそれほどありがたく思っていなかったのです。嘉納さんに始めて会った時も、そうあなたのように教育者として学生の模範になれというような注文だと、私にはとても勤まりかねるからと逡巡したくらいでした。嘉納さんは上手な人ですから、否そう正直に断わられると、私はますますあなたに来ていただきたくなったと云って、私を離さなかったのです。こういう訳で、未熟な私は双方の学校を懸持しようなどという慾張根性は更になかったにかかわらず、関係者に要らざる手数をかけた後、とうとう高等師範の方へ行く事になりました。
学习院没有录用我,那套晨礼服倒还是穿在身上。因为没有别的西服可穿,也没有办法。各位猜猜,我穿着它去了哪里?当年找工作远比今天容易,四下似乎都有不错的职位,大概是人才短缺的缘故。就连我这样的人,也几乎同时收到了高等学校和高等师范学校的聘请。我对替我向高等学校介绍工作的前辈表示了几分同意,却又含糊地答应了高等师范那边,结果事情纠缠得一团糟。说起来也只能怪自己年轻,办事马虎、考虑不周,最后自讨苦吃,实在叫人头疼。那位在高等学校任教多年的前辈叫我过去,责备我说,既然表示要到这里来,又去同别处商量,岂不是让他这个介绍人难做。我既年轻,又是个愚蠢的急性子,索性打算两边都辞掉,于是开始办理相关手续。不久,当时的高等学校校长久原先生——如今他大概担任京都的理科大学校长——通知我去学校一趟。我立刻赶去,发现高等师范校长嘉纳治五郎先生和那位介绍我的前辈都在。他们说已经商量好了,我不必顾虑高等学校,去高等师范就好。事情到了这一步,我也无法再说不去,便答应下来;心里却只觉得给自己惹来了麻烦。说来现在听着恐怕要让人觉得不识抬举,可当时我对高等师范并不怎么向往。初次见嘉纳先生时,我甚至犹豫着说:如果要求我像先生那样,以教育者身份为学生作模范,那我无论如何也做不来。嘉纳先生很会说话,回答说:“不,你这样坦率地拒绝,反而让我更想请你来。”就这样不肯放我走。我这个不成熟的人原本丝毫没有打算同时占着两所学校的职位,却给有关人士平白添了许多麻烦,最终还是去了高等师范。
第 15 段
しかし教育者として偉くなり得るような資格は私に最初から欠けていたのですから、私はどうも窮屈で恐れ入りました。嘉納さんもあなたはあまり正直過ぎて困ると云ったくらいですから、あるいはもっと横着をきめていてもよかったのかも知れません。しかしどうあっても私には不向な所だとしか思われませんでした。奥底のない打ち明けたお話をすると、当時の私はまあ肴屋が菓子家へ手伝いに行ったようなものでした。
但我从一开始就缺乏成为优秀教育家的资质,因此只觉得拘束、惶恐。连嘉纳先生都曾说,我过分老实,令人难办。或许我再厚脸皮一点反而好些。可不论怎样,那地方对我而言终究不合适。说句毫无隐瞒的实话,那时的我,就像一个卖鱼的人跑进糕点铺去帮忙。
第 16 段
一年の後私はとうとう田舎の中学へ赴任しました。それは伊予の松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはすなわちこういう私の事にならなければならんので、――はなはだありがたい仕合せと申上げたいような訳になります。
过了一年,我终于调到地方上一所中学任职,那就是伊予松山的中学。各位听到“松山的中学”便笑起来了,大概是读过我写的《少爷》吧。小说里有个人绰号“红衬衫”,当时常有人问我,究竟是以谁为原型的。可那时候学校里具有文学士学位的人只有我一个。如果硬要认定《少爷》里每个人物都对应现实中的某个人,那么这个“红衬衫”就非得是我本人不可了——那可真是“荣幸”之至。
第 17 段
松山にもたった一カ年しかおりませんでした。立つ時に知事が留めてくれましたが、もう先方と内約ができていたので、とうとう断ってそこを立ちました。そうして今度は熊本の高等学校に腰を据えました。こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れた試がございません。
我在松山也只待了一年。离任时知事曾挽留我,可我已经和下一所学校私下约定好,只得辞别松山。这一次,我在熊本的高等学校安顿下来。就这样,我依次在中学、高等学校、大学教过书,唯独小学和女校还从未涉足。
第 18 段
熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学を断わろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。しかるに文部省の内意を取次いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。しかし果せるかな何もする事がないのです。
我在熊本待了相当长一段时间。究竟去了多少年后,文部省突然私下征询我是否愿意去英国留学,我已记不清了。当时我想拒绝,因为我觉得,像我这样毫无明确目标的人,即使出了国,也未必能对国家有所贡献。可是替文部省传话的教务负责人说:“这是上面的判断,你无须自己评价自己。总之去一趟好些。”我也没有坚决抗拒的理由,便遵命去了英国。然而,果不其然,去了之后竟不知道该做些什么。
第 19 段
それを説明するためには、それまでの私というものを一応お話ししなければならん事になります。そのお話がすなわち今日の講演の一部分を構成する訳なのですからそのつもりでお聞きを願います。
要说清楚其中的缘故,就得先谈一谈此前的我究竟是个怎样的人。这件事本身正构成今天演讲的一部分,请各位留意听下去。
三、从“他人本位”到“自己本位”
第 20 段
私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません。それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目の垣覗きといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛がないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。
我在大学所学的专业叫作英国文学。各位或许要问英国文学究竟是什么,可连专攻三年的我也始终弄得稀里糊涂。当时有位名叫狄克逊的老师。他让我在课堂上读诗、读文章,又让我写作文;缺了冠词就挨训,发音错了就挨骂。考试题也净是些诸如华兹华斯生于何年、卒于何年,莎士比亚的对开本有几种,或按年代顺序列出司各特的著作之类的问题。即使是年轻的各位,想必也能想象:这些东西究竟算不算英国文学?英国文学姑且不论,靠这套办法首先就不可能弄明白文学究竟是什么。若问我能否凭自己去钻研,那又像一个盲人隔着篱笆张望。走进图书馆,无论四处怎么转悠,都找不到线索。我想这不仅因为自己的能力不够,也因为相关书籍过于匮乏。总之,苦读三年,最终还是没弄懂文学为何物。可以说,我的苦闷最初就扎根于此。
第 21 段
私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
我就怀着这样含糊不清的心境走进社会,与其说最后成了一名教师,不如说是被人推着当了教师。好在语言方面的功底虽然也不怎么样,好歹还能敷衍过去,每一天表面上都平安无事,可心里始终空空荡荡。倘若只是空虚,倒也干脆;偏偏那是一种说不清的、不痛快的、犹豫不决的阴影,仿佛藏在生活中的每个角落,让人难以忍受。与此同时,我对教师这份职业又毫无兴趣。我从一开始就知道自己不具备当教育家的天赋,何况单是在教室里教英语,就已经让我厌烦不已。我始终半蹲着身子,随时打算寻找空隙,跳进真正属于自己的领域;可说到自己的领域究竟在哪里,又像是有,又像是没有。无论朝哪个方向看去,都无法下定决心纵身跃过去。
第 22 段
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
既然来到世上,总得做些什么,可究竟应该做什么,我完全摸不着头绪。我像一个被困在浓雾里的孤独者,呆立原地,寸步难行。与其盼望哪里射来一缕阳光,我更想自己打开探照灯,哪怕只有一道光束,也要看清前方的路。不幸的是,望向任何方向,眼前都是模模糊糊的一片。像是整个人被塞进一只袋子里,怎么也出不去。我焦急得近乎发狂,想只要手上有一把锥子,哪怕只在一处,也一定要把袋子捅破。可偏偏别人不给我这把锥子,我自己也找不到。于是只能在心底暗暗担忧:今后究竟会变成什么样?就这样过着无人知晓的阴郁日子。
第 23 段
私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
我怀着这份不安从大学毕业,带着它从松山搬到熊本,最后又将它深藏心底,远渡重洋。然而既然身负出国留学的使命,多少总会新添几分责任意识。因此我尽力读书钻研,想有所作为。但不论读什么书,我还是走不出那只袋子。即使走遍伦敦,似乎也找不到能把它戳破的锥子。我独坐在寄宿房间里思索,越想越觉得毫无意思,终于认定再多读书也填不饱内心的饥饿;与此同时,甚至连自己为什么读书,都渐渐弄不明白了。
第 24 段
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。他の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。
就在那时我第一次领悟到:若不依靠自己的力量,从根本上建立“文学究竟是什么”的概念,就没有任何东西能拯救我。我终于意识到,过去的自己完全是“他人本位”,像无根的浮萍一样胡乱漂流,难怪始终不能有所成就。我这里所谓的“他人本位”,是说酒明明是自己要喝的,却先请别人替自己喝,听完他的品评,不问是非便一概接受。这就是所谓的模仿别人。这样一说似乎荒唐可笑,各位也许会怀疑谁会蠢到如此地步,可事实绝非如此。如今流行的柏格森也好、欧肯也好,都是因为西方人在议论,日本人才跟着起哄。何况在我年轻的时代,只要是西方人说的话,便不分青红皂白地盲从,还以此为荣。于是满口堆砌片假名、到处卖弄学问而洋洋得意的人,简直到处都是。我并不是在说别人的坏话:我自己恰恰就是其中之一。比如读到某位西方人评论另一位西方作家的作品,我便丝毫不考察评论得是否恰当,也不管自己是否真正心服口服,只是一味把那些意见四处宣扬。说是囫囵吞枣也罢,说是机械地记住一些知识也罢,总之这些东西既不能算是自己的所有物,也没有化为自己的血肉,却偏偏摆出主人的架势四处谈论。偏偏因为时代风气如此,旁人还会大加称赞。
第 25 段
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華を去って摯実につかなければ、自分の腹の中はいつまで経ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
但是,不管别人怎么称赞,自己毕竟只是穿着借来的衣服逞威风,内心自然没有底气。这活像披着孔雀羽毛自鸣得意。因此我逐渐觉察到:如果不抛开浮华,转而追求真诚踏实,自己的心永远也无法安定。
第 26 段
たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。
例如,一位西方人说这是一首杰出的诗,或说它的音调格外优美,那终究只是他的看法。固然不妨拿来参考,可倘若我自己并不这样认为,就绝不应该照搬他的评价。既然我是一个独立的日本人,而不是英国人的奴仆,作为国民之一员,至少应具备这样的见识。何况即便从尊重诚实这一普遍道德的角度看,我也不该违背自己的判断。
第 27 段
しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私の考と矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅まきの話で慚愧の至でありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。
然而我专攻的是英国文学。自己的看法若与英国本土评论家的判断相矛盾,一般人难免会心虚。因此,我必须追问:这种矛盾究竟从何而来?风俗、人情、习惯,进一步追溯到民族性格,都必然构成矛盾的原因。可一般学者往往把文学与科学混为一谈,误以为甲国人民喜欢的作品,乙国人民就一定也会赞赏,仿佛其中存在必然的规律。这正是错误所在。即使两种判断的矛盾无法调和,我们仍然应当能够解释它;而哪怕只是作出解释,也能够为日本文坛投下一线光明。直到那时,我才第一次领悟了这个道理。醒悟得实在太晚,令我羞愧万分,可事实就是如此,我不能不如实相告。
第 28 段
私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。
从那以后,为了巩固——与其说巩固,不如说从头建立——自己对于文艺的立足点,我开始阅读许多与文学艺术毫不相干的书。简而言之,我终于想到了“自己本位”四个字,为了论证这一立场,转而钻研科学,沉浸在哲学思考中。如今时代不同了,略有思考能力的人想必都能理解这一点;可当时我自己幼稚,社会的认识也还没有进步到那一步,所以那样的做法对我来说实在是不得已的选择。
第 29 段
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自从把“自己本位”这句话握在手里,我变得坚强多了,甚至生出“他们算什么人物”的气概。对于此前一直茫然失措的我来说,真正告诉我“应该站在这里,沿着这条路这样走下去”的,正是这四个字——文中此处写作“自我本位”。
第 30 段
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。
坦白说,我正是从这四个字重新出发的。我觉得,像当时那样一味附和别人、跟着起哄,实在叫人靠不住。倘若能够堂堂正正地拿出无可辩驳的理由,向人们说明没有必要一味装成西方人的样子,自己定会愉快,别人想必也会欢迎。因此我决定通过著书及其他方式来完成这件事,把它作为毕生的事业。
第 31 段
その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。
就在那时,我心中的不安完全消失了。我带着轻快的心情,望着阴郁的伦敦。打个比方,多年苦闷之后,我终于感到自己的鹤嘴锄“咔”的一声凿中了矿脉。再换种说法,那就像此前一直被困在迷雾中的人,终于从某个方向看清了自己应该走的道路。
第 32 段
かく私が啓発された時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。それでとても外国では私の事業を仕上る訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。
等到我获得这一启发,距离出国留学已经过了一年多。我明白自己的事业绝不可能在国外完成,于是打算尽可能收集资料,待回国之后再妥善完成。换言之,虽说出于偶然,归国时的我比出国时的我,毕竟多获得了一份力量。
第 33 段
ところが帰るや否や私は衣食のために奔走する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒稼ぎました。その上私は神経衰弱に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載せなければならない仕儀に陥りました。いろいろの事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。しかも畸形児の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。
可一回国,为了衣食奔波的义务立刻压了上来。我去高等学校教课,又去大学教课,后来钱不够,还兼到一所私立学校挣钱。更糟的是,我患上了神经衰弱。到最后,竟落到不得不把些无聊的小说发表在杂志上的地步。种种缘故,使得我原先计划的事业半途而废。我写出的《文学论》,与其说是那项事业的纪念,不如说是失败留下的遗骸,而且还是一具畸形儿的遗骸。也可以说,它就像一座尚未完全建好的城市,在地震中坍塌之后留下的废墟。
第 34 段
しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭かも知れません。
然而当年获得的“自己本位”的思想至今依然存在。不,随着岁月流逝,它反而愈发坚定。作为著述事业,我的计划虽以失败告终,但当时牢牢把握住的“自己为主,他人为宾”这一信念,直到今天仍给予我极大的自信与安心。我甚至觉得,自己之所以能够一直生活到今天,也是那一信念的延续。说不定,今天能够站在这样高的讲台上给各位演讲,同样要归功于它。
四、找到自己的路:对青年学生的劝告
第 35 段
以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶(たとい種類は違っても)を繰返しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくっても薬缶頭を掴むようにつるつるして焦燥れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。
以上我只是粗略谈了谈自己的经历。之所以要讲这些,完全出于一种多管闲事的关切:也许它们能对各位有所参考。你们将来都要离开学校,走进社会。有的人还得过上相当长一段时间,有的人很快就要踏入现实社会。不论早晚,我想你们多半也会经历我曾有过的苦闷,尽管苦闷的种类不见得相同。或许会有不少人像我一样,想突破某种束缚却无法突破,想抓住什么却像去抓一个光溜溜的秃脑袋,怎么也抓不住,因而焦躁不安。当然,各位之中已经靠自己开辟出道路的人,自属例外。即便有人愿意跟在别人身后,满足于走旧路,我也绝不会说这样不好——只要他确实拥有内心的安定与自信。但是,如果不是这样,那么无论如何也得继续往前走,直到用自己的鹤嘴锄凿中矿脉为止。我之所以说“非如此不可”,是因为如果一辈子找不到自己的矿脉,就会终生不快,永远保持着半蹲的姿势,在人世间踌躇徘徊。我强调这一点,仅仅出于这个缘故,绝不是要各位把我当成榜样。即使像我这样不起眼的人,只要自己知道走出了一条属于自己的路,无论各位觉得那路多么不值一提,那也只是各位的评价与观察,对我丝毫不会造成损失。我自己已经足够满足。但千万不要误会:我因为找到自己的路而获得了自信与安心,绝不意味着各位就该照着我走过的路再走一遍。
第 36 段
それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越しているとおっしゃれば、それも結構であります。願くは通り越してありたいと私は祈るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛には相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。
不管怎样,我判断各位将来也必定常常遇到我经历过的那类苦闷,大家觉得呢?如果是这样,那么无论把它当作一生的事业,还是十年、二十年的事业,对于求学和受教育的人来说,坚持走到真正有所发现的那一刻,难道不是必要的吗?当各位发自内心地喊出“啊,原来我要走的路就在这里!终于挖到了!”时,才可能获得真正的心安。那种不容易被击碎的自信,也会随着喊声蓬勃地昂起头来吧。诸位当中或许已有很多人达到这种境地;但倘若还有人半途困在雾霭中苦苦挣扎,我希望他无论付出怎样的牺牲,也要坚持到能够说出“就是这里”的那一刻。我这样说,并不全是为了国家,也不是为了各位的家人,而是因为我认为,这对于你们自己的幸福绝对不可缺少。如果你们已经走过我曾走的那条路,自然不必再说;可如果心里还留着某种阻碍,那就得继续前进,直到把它踏平为止。——当然,既然根本不知道该怎么前进,那也只好往前走,直到真正碰上某样东西。我丝毫不愿把貌似忠告的话强加给大家;只是想到这或许与各位未来的幸福有关,就不能不说。假使抱着一颗像海参般软塌塌、既犹豫又不彻底、既觉得这样对又觉得那样也对的心,懵懵懂懂地活着,自己难道不难受吗?如果各位说并不难受,那便无话可说;如果说早已越过了这个阶段,那更是好事。我真心希望大家早已度过这段路。可我自己从学校毕业以后,一直到三十多岁,都没能走出去。那痛苦诚然只是一种钝痛,却的的确确年复一年地折磨着我。所以,如果在座有人也染上了我这种“病”,我衷心希望他勇敢向前。因为只要走到那一步,他就会发现“原来这里才是我安身立命的所在”,从而获得一生的安心与自信。
五、个性、权力与财力的伦理
第 37 段
今まで申し上げた事はこの講演の第一篇に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚されております。そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
刚才所讲的可以算作这次演讲的第一部分。现在我想转入第二部分。社会上普遍认为,学习院是社会地位较高的人就读的学校,而且这恐怕也是事实。如果正如我推测的那样,这里几乎没有贫寒子弟,而主要聚集着上流社会的年轻人,那么未来首先伴随各位而来的东西,就应当是权力。换言之,各位踏入社会以后,比贫穷的人更有可能掌握和运用权力。刚才说过,坚持向前直到找到自己的事业,是为了你们的幸福与安心。为什么它能带来幸福与安心呢?因为你们与生俱来的个性,在那里终于找到了契合之处,才得以踏实地站稳脚跟。一旦安顿下来,继续向前,个性也会得到更充分的发展。只有当各位所做的工作与自己的个性彼此吻合时,才能真正说出:“啊,原来这就是我的安身之处。”
第 38 段
これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味してみると、権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。
沿着同样的思路仔细考察刚才所说的权力,我们就会发现,权力是一种能够把自己的个性硬生生压到别人头上的工具。如果把话说得如此绝对不够妥当,那么至少可以说,它是一件能够被当成这种工具使用的利器。
第 39 段
権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。
权力之后,就是财力。各位想必也比穷人拥有更多的财富。从同一角度看,金钱是一种十分便利的东西:人们可以将它作为诱惑他人的工具,以此扩张自己的个性。
第 40 段
してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込んで書物などを読む事が好きなのに引き易えて、兄はまた釣道楽に憂身をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠っているのを非常に忌まわしいもののように考えるのです。必竟は釣をしないからああいう風に厭世的になるのだと合点して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿を担がしたり、魚籃を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑ってくっついて行って、気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉がないのです。これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。兄の個性が弟を圧迫して無理に魚を釣らせるのですから。もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免かれますまい。しかし私はおもにあなたがたが一本立になって世間へ出た時の事を云っているのだからそのつもりで聴いて下さらなくては困ります。
这样看来,权力和财力都能让人比穷人更方便地把自己的个性加到别人身上,或者把别人引诱到符合自己喜好的方向。正因为拥有这种力量,它们表面上令人显得了不起,实际上却非常危险。先前我谈到个性的发展,主要是从学问、文艺、兴趣等方面说的:人必须找到适合自己的位置,个性才开始真正发展。但这个道理的适用范围远不止于学艺。我认识一对兄弟,弟弟喜欢待在家里读书,哥哥却沉迷钓鱼。哥哥非常看不惯弟弟内向、整天关在家里的性子,认定他之所以变得如此厌世,全是因为不去钓鱼,于是拼命拉弟弟出门。弟弟讨厌得不得了,可哥哥摆出高压姿态,叫他扛钓竿、提鱼篓,命令他陪着去钓鱼池。他也只得闭起眼睛跟去,钓上几条令人不舒服的鲫鱼,再心不甘情不愿地回来。这么一来,弟弟的性格是否如哥哥所愿改变了呢?完全没有;相反,他只会越来越反感钓鱼。钓鱼的乐趣与哥哥的性格或许严丝合缝,但那是哥哥的个性,和弟弟毫无关系。当然,这不是财力的例子,而是权力威压他人的例子:哥哥强迫弟弟依照自己的个性行事。有些场合,例如听课、服兵役,或以军事生活为中心的寄宿学校,或许免不了采取一定程度的强制手段。不过我今天主要谈的是各位能够独立立足社会之后的情形,请不要弄错我的意思。
第 41 段
そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引き摺り込んでやろうという気になる。その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他を自分のようなものに仕立上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。
因此,正如前面所说,当一个人幸运地找到自己认为好、自己喜欢、与自己性情相合的事情,借此发展个性时,往往会不知不觉忘记自己与他人的分别,想把那个人也拉进自己的圈子里。如果他握有权力,就会出现刚才那对兄弟之间那样古怪的关系;如果他拥有财力,就会撒下金钱,试图把别人塑造成与自己一样的人。也就是说,他把钱当成诱饵,试图借助诱惑改变别人,使其符合自己的喜好。无论哪一种,都十分危险。
第 42 段
それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒でない場合には、自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。
所以我一向这样认为:第一,各位必须不断向前,直到找到一份与自己真正契合的工作、一个能使个性得到发展的安身之处,否则将是一生的不幸。但是,如果社会允许你如此尊重自己的个性,那么同样理所当然地,你也应该承认他人的个性,尊重他们各自的倾向。在我看来,这既是必要的,也是正确的。自己天生喜欢向右,便说别人向左实在不可容忍,这难道不是荒唐的吗?当然,若涉及由许多复杂因素构成的善恶、是非问题,还需要仔细分析,不能一概而论。但在不涉及这些问题的场合,或即使涉及也并不复杂的情况下,只要自己享有他人给予的自由,就必须同样给别人以同等程度的自由,平等地对待他们。我只能这样相信。
第 43 段
近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。
如今有些人高喊“自我”“自觉”,仿佛这些词就是可以随心所欲、为所欲为的通行证,其中有不少观点十分可疑。他们口口声声说要绝对尊重自己的自我,对他人的自我却连一丝一毫也不肯承认。既然具有公平的眼光和正义观念,那么在为了自己的幸福而发展个性的同时,也必须把同样的自由给予别人;对此我深信不疑。我们不应在缺乏正当理由的情况下,妨碍别人为了自己的幸福而自由发展个性。为什么我在这里特意用了“妨碍”一词呢?因为各位之中,将来有很多人恰恰会处于能够妨碍他人的地位。你们之中,既有人可以运用权力,也有许多人可以运用财力。
第 44 段
元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を静粛に聴いていただく権利を保留する以上、私の方でもあなた方を静粛にさせるだけの説を述べなければすまないはずだと思います。よし平凡な講演をするにしても、私の態度なり様子なりが、あなたがたをして礼を正さしむるだけの立派さをもっていなければならんはずのものであります。ただ私はお客である、あなたがたは主人である、だからおとなしくしなくてはならない、とこう云おうとすれば云われない事もないでしょうが、それは上面の礼式にとどまる事で、精神には何の関係もない云わば因襲といったようなものですから、てんで議論にはならないのです。別の例を挙げてみますと、あなたがたは教場で時々先生から叱られる事があるでしょう。しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。先生は規律をただすため、秩序を保つために与えられた権利を十分に使うでしょう。その代りその権利と引き離す事のできない義務も尽さなければ、教師の職を勤め終せる訳に行きますまい。
从根本上说,世上根本不可能有不附带义务的权力。我今天站在高高的讲台上,俯视各位,有权要求大家安静地听我讲上一两个小时,那么我也必须讲出足以让各位愿意保持安静的道理。即使讲演平凡无奇,我的态度与举止也应当具有足以赢得各位尊重的品质。倘若只是说,我是客人,你们是主人,所以你们就该老实听讲,这样的话倒也说得通,却不过是浮于表面的礼节,与精神毫无关系,说到底只是习俗,根本不足以成为有力的论据。再举个例子。各位在课堂上大概时常挨老师训斥。但如果有老师只管责骂学生,除此之外一概不做,那他当然没有资格当教师。老师既然训斥学生,就理应付出心力教导他们,因为有训斥权利的教师,同时也负有教书的义务。教师可以充分运用为维持纪律和秩序而赋予他的权力,可是倘若不履行与这种权力不可分割的义务,他便不能算尽到了教师的职责。
第 45 段
金力についても同じ事であります。私の考によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。その訳を一口にお話しするとこうなります。金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通が利く。たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまうのです。それで私は金力には必ず責任がついて廻らなければならないといいたくなります。自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。
财力也是同一个道理。依我之见,不懂得责任的富有者是不应该存在于世上的。理由简单说来是这样:金钱是一件极其方便的东西,能够灵活地转换成各种用途。比如此刻我通过投机赚了十万日元,可以拿它盖房子,也可以买书,还可以拿去花街柳巷挥霍;总之它能够变成各式各样的东西。最可怕的是,钱甚至能够用来购买人的精神。也就是说,撒出钱财,便可以收买人的道德心,把它当作腐蚀他人灵魂的工具。倘若通过投机获得的钱财,竟能在道德伦理上发挥如此巨大的力量,那不能不说是一种极不正当的用途。尽管如此,金钱既然确实有这种能力,也无可奈何。要防止人心腐败,便只有依靠掌握财富的人具备相应的道德心,在使用财富时避免造成道义上的损害。因此我认为,财力必须始终伴随着责任。一个人不能只培养足够的见识,懂得自己的财富用于某个方面会产生何种结果、用于某个社会领域又会造成何种影响;还必须依据这种见识,负责地支配自己的财产,否则便对不起世人。不,连自己也对不起。
第 46 段
今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。
把刚才的论证归纳一下,可以得出三点:第一,如果想实现自己个性的发展,就必须同时尊重他人的个性。第二,如果想运用自己拥有的权力,就必须明白随之而来的义务。第三,如果想发挥自己的财力,就必须重视与它相伴的责任。归根结底,就是这三条。
第 47 段
これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。
换句话说,一个人在伦理上如果没有经过一定程度的人格修养,就不配谈发展个性,也不配运用权力和财力。再换一种说法,要自由地享有这三者,就必须使它们受到其背后应有的人格力量的约束。一个缺乏人格修养的人,若一味发展个性,就会妨碍别人;若行使权力,就会滑向滥用;若使用金钱,就会造成社会腐败。其后果十分危险。正因为各位将来很容易接近这三样东西,所以我认为,你们无论如何都必须成长为具有健全人格的人。
六、自由、义务与个人主义的孤独
第 48 段
話が少し横へそれますが、ご存じの通り英吉利という国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。日本などはとうてい比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。 England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違ないのです。
话题稍微岔开一点。各位知道,英国是一个十分尊重自由的国家。如此热爱自由,却又很少有国家像英国那样秩序井然。说实话,我并不喜欢英国。尽管不喜欢,但事实如此,只能承认:世界上恐怕再没有哪个国家既如此自由又如此有秩序了,日本根本无从相比。然而,英国人并不只是讲自由。他们从小接受社会教育,懂得在珍爱自己自由的同时,尊重他人的自由。因此,英国人的自由背后,总是伴随着义务的观念。纳尔逊那句著名的话“England expects every man to do his duty”(英格兰期待每个人尽到自己的责任),绝不只是为了某个特殊时刻而说的;它必定植根于一套与他们的自由互为表里的深厚思想传统。
第 49 段
彼らは不平があるとよく示威運動をやります。しかし政府はけっして干渉がましい事をしません。黙って放っておくのです。その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得ていて、むやみに政府の迷惑になるような乱暴は働かないのです。近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。例外にしては数が多過ぎると云われればそれまでですが、どうも例外と見るよりほかに仕方がないようです。嫁に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。名画を破る、監獄で断食して獄丁を困らせる、議会のベンチへ身体を縛りつけておいて、わざわざ騒々しく叫び立てる。これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。しかしまあどういう理由にしても変則らしい気がします。一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度において自由を愛しているようです。
英国人有不满时,经常举行示威游行。但政府并不急于干预,而是默默听之任之。相应地,示威者也懂得分寸,不会随意采取给政府造成过分困扰的粗暴行动。近来报纸上常见争取妇女权利的活动家采取激烈行动,在我看来,那姑且算是例外。若有人说这样的例外未免太多,那我也无法反驳,但似乎仍只能当作例外。有的人可能是嫁不出去,有的人可能找不到职业,也可能是借着英国人长期以来尊重女性的风气行事;总之,这看起来不是英国人平日惯有的作风。撕毁名画,在监狱里绝食让狱卒为难,或者把身体绑在议会的长凳上,大声喧哗,这都令人意外。或许她们认为,无论女人做什么,男人都会退让,所以可以毫无顾忌。不过不管是什么缘由,在我看来总是一种反常的现象。一般英国人的性情,大体仍如前面所说,是在不背离义务观念的范围内热爱自由的。
第 50 段
それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。
因此,我并不是说一定要拿英国当榜样。我只是认为,不具备义务意识的自由,不是真正的自由。因为那种任性的自由根本无法在社会中长久存在;即便暂时存在,也势必很快遭到他人的排斥和压制。我衷心希望各位能够自由,同时也殷切希望各位懂得义务的含义。正是在这个意义上,我毫不避讳地公开宣称自己是一个个人主义者。
第 51 段
この個人主義という意味に誤解があってはいけません。ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹き込んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。金力権力の点においてもその通りで、俺の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰わない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。または三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。
千万不要误解这里所说的个人主义。尤其各位还是年轻人,如果让你们产生错误理解,我就有责任了,请格外留心。时间不多,我尽量简单说明:个人自由对于前面讲过的个性发展极为重要,而个性的发展又与各位的幸福有极深的关系。因此只要不妨碍别人,至少应该拥有这样的自由:我愿意向左,你愿意向右,各走各的路。我们既要为自己保有这种自由,也要把它给予别人。这便是我所谓的个人主义。权力与财力也一样。仅仅因为“那人我不喜欢,就把他整垮吧”“那家伙让我不痛快,就收拾他吧”,明明对方并无过错,却滥用权力或金钱,后果会怎样?这样不仅会彻底摧毁人的个性,也必然带来不幸。比如我明明没有做任何不法之事,只因为政府看我不顺眼,警视总监便派巡警包围我的住处,那该如何评价?警视总监也许握有足以这样做的权力,但道德绝不允许他如此用权。再比如三井或岩崎那样的大富商,只因为讨厌我,便买通我家的佣人,让他们处处跟我作对,那又该如何评价?只要他们的财力背后还存有一点人格修养,就绝不至于做出这种无法无天的事。
第 52 段
こうした弊害はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。
这些弊病之所以出现,都是因为人们不懂得合乎道义的个人主义,只想借助权力或财力,把自己的意志无限扩张到别人身上。这无非是一种任性。因此,我在这里讲的个人主义,绝非世俗之人所想象的那样,会给国家带来什么危险。依我的理解,它意味着在尊重自己存在的同时也尊重他人的存在。所以我认为,这是一种堂堂正正的主义。
第 53 段
もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも思いました。封建時代の人間の団隊のようにも考えました。しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。
说得更明白些,个人主义是一种不讲派系私情、只问是非曲直的立场。它不结党营私,不为权力和金钱而盲目行动。也正因如此,其背后还藏着一种不为人知的寂寞。既然不以党派为归依,自己只管走自己的路,同时也不妨碍别人走他们的路,那么某些时候,人就难免各自分开。这便是寂寞所在。从前我负责《朝日新闻》文艺栏时,有人曾写了几句批评三宅雪岭先生的话。那并非人身攻击,只是一段评论,何况只有两三行。究竟何时刊登,我也记不清了;当时我生过病,也许恰在病中发表,也可能是在我康复后经过我认可才发表。总之,那篇评论登在了《朝日新闻》的文艺栏上。结果,《日本及日本人》的一群人发了火。他们没有直接来找我,却向当时给我打下手的人提出撤稿要求。而且来要求的还不是三宅先生本人,而是他的手下——叫“手下”好像黑帮赌徒一般,有点可笑,不妨说是同人吧——无论如何非得撤回评论不可。若涉及事实错误,要求更正当然有理;可既然只是批评,又能怎样呢?我们只能说这是我方的自由。更令人吃惊的是,提出撤稿要求的《日本及日本人》那一边,却有人几乎每期都在骂我。我没有直接同他们交涉,但间接听到此事时,心里觉得很不是滋味:我这边以个人主义方式行事,对方却似乎完全按照党派主义行动。当时,我连批评我自己作品的文章都愿意刊载在我负责的文艺栏里。因此看到他们所谓的同人,只因不喜欢针对三宅先生的几句评语,便一齐发火,我既吃惊又觉得古怪。恕我冒昧,我甚至认为那种做法落后于时代,像封建时代人们结成的团体。然而,即便这样想,我还是无法摆脱一种寂寞。因为我始终认为,即使人与人再亲近,在意见有分歧时也不能强求一致。我可以给经常来我家的年轻人提出建议,但除非有其他重大的理由,从来不去压制他们发表自己的意见。我就是如此承认他人的存在,也就是给他人如此充分的自由。正因此,即使我受到怎样的羞辱,只要对方并不情愿,我也绝不能强求他们帮助我。这便是个人主义的寂寞。个人主义在决定赞成或反对某个人以前,先要弄清是非,再决定自己的取舍,因此有时难免孤身一人,感到凄清。倒也不奇怪:即使是零散的柴枝,扎成一束也会让人觉得有依靠。
七、个人主义与国家:演讲结语
第 54 段
それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟の立たない漫然としたものではないのです。いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはやむをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。
还有一点,为避免误解,必须再说明一下。提到个人主义,有人便以为它与国家主义正相反,甚至要摧毁国家主义。实际上个人主义并不是那种含混笼统、毫无道理的东西。说来我本不怎么喜欢“某某主义”这一类字眼,因为人不可能简单归结为某一种主义。不过为了说明问题,今天只能暂借这些术语。有的人四处宣称,也真的相信,日本如今非奉行国家主义就无法立足。甚至还有不少人主张,如果不把个人主义践踏下去,国家就要灭亡。这种荒谬的说法完全站不住脚。事实上,我们既可以是国家主义者,也可以是世界主义者,同时又可以是个人主义者。
第 55 段
個人の幸福の基礎となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。これは理論というよりもむしろ事実から出る理論と云った方が好いかも知れません、つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違いをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人はないはずです。私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾が必要だと云って、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えて下さい。また例になりますが、昔し私が高等学校にいた時分、ある会を創設したものがありました。その名も主意も詳しい事は忘れてしまいましたが、何しろそれは国家主義を標榜したやかましい会でした。もちろん悪い会でも何でもありません。当時の校長の木下広次さんなどは大分肩を入れていた様子でした。その会員はみんな胸にめだるを下げていました。私はめだるだけはご免蒙りましたが、それでも会員にはされたのです。無論発起人でないから、ずいぶん異存もあったのですが、まあ入っても差支なかろうという主意から入会しました。ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かの機でしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記憶しています。しかるにいよいよ発会式となって、今申した男の演説を聴いてみると、全く私の説の反駁に過ぎないのです。故意だか偶然だか解りませんけれども勢い私はそれに対して答弁の必要が出て来ました。私は仕方なしに、その人のあとから演壇に上りました。当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退けました。ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。私はこう云いました。――国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。これと同じ事で、今日の午に私は飯を三杯たべた、晩にはそれを四杯に殖やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否観方によっては世界の大勢に幾分か関係していないとも限らない。しかしながら肝心の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。――私の答弁はざっとこんなものでありました。
构成个人幸福基础的个人主义,其内容确实是个人自由。但是,每个人所享有的自由,会随着国家处境的安危而像温度计一样升升降降。这与其说是一套抽象理论,不如说是从事实中得出的认识;事物自然而然就会呈现这种状态。国家陷入危险时,个人自由便会收缩;国家太平时,个人自由便会扩展,这本来很自然。一个真正具有人格修养的人,在国家生死存亡之际,理应不会误判形势,只顾不分场合地追求个性发展。但请各位也看到:我的个人主义同时包含着一种劝告,针对的是那些火灾都已经扑灭,却还嚷着必须戴防火头巾,没事也要让自己继续受束缚的人。再举一个例子。从前我在高等学校任教时,有人创立过一个团体,名字和具体宗旨我都忘了,只记得它是一个大张旗鼓标榜国家主义的组织。当然,它也不是什么坏团体。当时的校长木下广次先生似乎十分支持。会员人人胸前佩戴一枚纪念章,我唯独谢绝佩戴章饰,却还是被算作会员。我自然不是发起人,对其中许多地方也有异议,不过想加入大约无妨,便入了会。后来在宽敞的礼堂举行成立大会,不知出于什么机缘,一位会员登台发表了类似演说的讲话。我虽然是会员,过去却因为在许多问题上意见不同,曾经强烈批评过该会宗旨。到了成立大会,一听那个人讲话,原来几乎全是在反驳我的意见。我不知道是有意还是偶然,但既然如此,似乎非作回应不可。我只好跟着他登上讲台。那时自己的态度和举止想必相当难看,但还是简短地说完了想说的话,便下来了。各位或许要问,我究竟说了什么?其实简单极了。我说:国家固然重要,可要我们从早到晚满口“国家、国家”,像中了国家的魔似的,实在办不到。或许有人主张无时无刻都不许想国家以外的事,但现实中根本不可能有人一刻不停地想着同一件事。卖豆腐的人走街串巷卖豆腐,绝不是为了国家而卖。他的根本目的,是挣到养家糊口的钱。当然,不管本人怎么想,他提供了社会需要的食物,结果或许间接地有益于国家。同样地,今天中午我吃了三碗饭,晚上增加到四碗,也绝不是为国家利益而增减食量。老实说,不过取决于胃口而已。即便如此,从间接又间接的意义上说,这些事也未必对天下毫无影响,甚至换个角度还可能多少关系到世界大势。但若因此强迫当事人为了国家吃饭、为了国家洗脸、为了国家上厕所,那可就不得了。要怎样鼓励国家主义都可以,但把实际上并非为国家而做、甚至不可能那样做的事,硬装成出于国家利益,这就是虚伪。——我当时的答辩,大致就是这些话。
第 56 段
いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。だからこの二つの主義はいつでも矛盾して、いつでも撲殺し合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。この点についても、もっと詳しく申し上げたいのですけれども時間がないからこのくらいにして切り上げておきます。ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。その辺は時間がないから今日はそれより以上申上げる訳に参りません。
一个国家真正遇到危险,谁会完全不关心它的安危呢?国家越强大,越不必担心战争和外敌侵犯,国家意识相应地就应当越弱一些;个人主义填补由此留下的空间,也是理所当然的。今天的日本还谈不上多么安稳,既贫穷又是个小国,谁也不知道何时会发生什么。所以从这个意义上说,我们确实需要考虑国家。但日本毕竟也并非眼看就要崩溃灭亡的国家,何必整天到处喊着“国家、国家”?那就像火灾尚未发生,便先穿上救火的全套装束,在街区里不舒服地跑来跑去。归根结底,这只是一个程度问题。真到了战争爆发、国家危急存亡的时候,一个有思想能力的人——更确切地说,一个有着充分人格修养、不能不思考国家处境的人——自然会把心思转向国家;即使因此约束个人自由、减少个人活动,也会主动尽力为国家服务,几乎可以说是顺乎自然的事。因此我相信,国家主义与个人主义决不是什么时时冲突、非要互相扑杀的对立物。关于这一点我还想说得更详细,可时间有限,就此打住。还要请各位特别注意的是:在我看来,国家层面的道德水准似乎远远低于个人层面的道德。国家与国家之间,外交辞令无论多么冠冕堂皇,实际上并没有多少道德心。欺诈、蒙骗、设圈套,简直无所不为。因此,如果以国家为标准,把国家看成一个整体,似乎就得安于相当低下的道德水准而若无其事;但从个人主义的基础来看,道德要求就高得多,这一点值得认真思考。所以在国家和平安定的时候,还是应当更重视道德要求较高的个人主义,我无论如何都觉得这是自然的道理。由于时间不够,今天无法再往下展开。
第 57 段
私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。
今天承蒙各位盛情邀请,我便前来,向你们这些今后应当尽可能活出个人生命的人,谈了个人主义的必要性。我希望这些话在各位步入社会后能够有一点参考价值。至于我的意思是否传达给各位,我自己也不知道。如果其中有什么不明白的地方,想来是我的讲法不够充分或不够妥当。因此,若是听完之后还有疑问,千万别稀里糊涂地作出判断,不妨到我家来。只要能力所及,我随时愿意解释。当然,如果不必如此费事,大家就已经充分理解了我的本意,那便是再令我满意不过的事了。时间已经不短,今天就讲到这里,恕我告辞。
旧式表达速查
| 原文形式 | 现代日语或语用解释 |
|---|---|
| 云う | 言う;旧式/文学化的汉字表记 |
| 這入る | 入る;青空文库保留的旧写法 |
| ~しなければならん | ~しなければならない;「ない」的缩约形 |
| ~まい / ~まいか | 否定意志或推测,语境中也见委婉反问 |
| ~訳に行かない | ~わけにはいかない;不可能或不得不避免 |
| よろしゅうございます | よろしいです;旧式、郑重表达 |
| 差支ない | 差し支えない;没有妨碍 |
| ~と申す / ~と存じる | 言う/思う的自谦表达,演讲中频繁出现 |
| ~ずじまい | 最后没能做成…… |
| ~に相違ない | ~に違いない;必然、想必 |
| ~というより(も)むしろ | 与其说……不如说…… |
| ~からと云って | ~からといって;不能仅因……就…… |
| ~以上は | 既然……就……,引出义务或结论 |
| ~とりも直さず | ~にほかならない;正是…… |
| ~ない限り | 只要不……/除非…… |
三条伦理原则
- 发展自己的个性,同时尊重他人的个性。
- 运用权力,必须承担与权力相伴的义务。
- 运用财力,必须重视其社会后果与道德责任。